2007年04月24日

KAZUYAのキングカズイズム〜後編〜

またまた来ました火曜日☆

という訳で下手な前置きは省略して、カズがJリーグ初代MVPになってからを綴ります。

 JリーグMVPになってからのカズは、1994年に日本人としてはもちろん、アジア初のプレーヤーとして、イタリアの超名門リーグ『セリエA』の『ジェノア』で期限付きではあるがプレーをする。
 カズにとってセリエAデビュー戦は、これまた超名門『ACミラン』

 サッカー好きでなくとも1度は耳にする事はあるんじゃないかな?
 カズはその試合で幸か不幸か歴史に名を残す事になる。

 序盤から白熱していた試合中にカズは、当時のイタリア代表主要選手『フランコ・バレージ』と空中のボールの競り合いで激しく衝突!

 カズは鼻を骨折し、約一ヶ月の戦線離脱を余儀なくされた。

 幼いながらもその時のニュースや映像が今でもリアルに思い出せます。

 でも前回大会のフランスワールドカップの決勝戦のジダンもすごかったなぁ…(^-^;)

 さておき、カズはデビュー直後のハプニングや日本代表の招集などでプレー期間が1年間という事もあり、結果も1得点にとどまってしまい、カズのセリエA進出は賛否両論がある。

 でも俺はカズのアグレッシブな姿勢のおかげで今のように日本人のブラジルやヨーロッパ進出が出来やすくなった、言わばパイオニアだと思ってます。

 1998年ヴェルディに戻っていたカズは、ヴェルディの親会社である読売の撤退により、ほとんどの選手の年俸減額、年俸0掲示はカズでもあった。

 それにより数多くの選手が移籍を余儀なくされたなか、カズは再びヨーロッパのクロアチアリーグの『ザグレブ』でプレーをする事になった。

 けして結果は良いとは言えないが、クロアチアの若手選手などから良い兄貴的存在や、カズのそれまでの経験を示した。

 そして1999年6月、予定より1年早く帰国し、同年7月に当時日本代表監督であった加茂監督の『京都パープルサンガ』でプレーし、下位チームであったにも関わらず、2000年には17得点を記録し、まだまだ存在をアピールするが、実質的に戦力外通告を受ける事になる。

 そして2001年、『ヴィッセル神戸』に籍を置き、4年間キャプテンとしてプレーする。

 2005年7月、神戸でやり残した事を精算したいと、『横浜FC』でプレーし、早期に同年11月にオーストラリア初のAリーグにカズのベテランの経験を行かした期限付きゲストプレーヤーとして、『シドニーFC』にてプレーし、同チームで日本で開催された元、トヨタカップ、FIFA世界クラブ選手権で2ゴールをマークするなど結果を残した。

 もちろんこの選手権に出場することも日本人プレーヤーとして初めての事である。

 そして2007年現在も横浜FCで40歳になってもカズは、熱い気持ちでピッチを走っている。

 俺にとって侍であるカズ。やってる事は違うけど、いつまでも好きな事を精一杯やり続けたい気持ちは同じなんで、負けずに頑張りたい。

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