2007年05月21日

帝銀事件

どうも。ZAxBUです。
月曜日です。
今週のGOLDEN GUIDE BOOKは、帝銀事件についてです。



 帝銀事件とは、1948年1月26日に東京都豊島区の帝国銀行(後の三井銀行、現在の三井住友銀行)椎名町支店で発生した強盗殺人事件。
 1948年1月26日、白衣に「防疫班」の腕章を着用した東京都衛生課員を名乗る男が「近くで赤痢が発生したので予防薬を飲んでもらう」と偽って行員16人に青酸化合物を飲ませて12人を殺害(4人生存も、うち1人は後に死亡)。
 現金18万円あまりを奪って逃走した。

 全員に飲ませることができるよう遅効性の薬品を使用したり、手本として自分が最初に飲んだり、「歯を痛めるため舌を出して飲む」よう伝えて確実に嚥下させたりと巧みな手口を用いたと伝えられている。

 当初は青酸化合物の扱いに熟知した旧陸軍細菌部隊関係者を中心に捜査されていたが、その年の8月21日にテンペラ画家の平沢貞通を北海道小樽市で逮捕した。
 生存者の証言では可能性が低く不審な点もあった。

 一説では、旧陸軍細菌部隊(731部隊)関係者の犯行という説もあり、終戦直後の部隊から細菌兵器やデータなどを入手した件の発覚を恐れたGHQの圧力があったと言われている。

 1955年5月7日に死刑が確定した。しかし、上記の点や証拠とされた平沢の自白も取り調べ時に拷問に近かった事や精神疾患によるものと言う疑いもあり、冤罪であるとして、その後何度も再審請求が出された。

 平沢は獄中で3度の自殺未遂を計った。
 世間の影響も大きく、松本清張などの支援者が釈放運動も行ったが、1987年に八王子医療刑務所で95歳で肺炎を患い病死。
 その後も養子と支援者が名誉回復の為の再審請求を続けている。

 歴代の法務大臣も冤罪の可能性が強いと感じ、新聞記者の前で一度に23人死刑執行を署名した田中伊三次さえも死刑執行を命じることができなかった。


 この当時は自白が証拠として適応された時代で、上にも書きましたが、殴る蹴るの暴行による自白を促してたみたいですねー。
どこからどう見ても冤罪です。
 迷宮入りになりそうな事件は、誰でも良いから犯人に仕立て上げ、自白させる。
 親方日の丸のやる事は、今も昔も変わりません。

では、また来週。

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