2007年07月02日

今週はお休みです・・・

今週のZAxBUのGOLDEN GUIDEBOOKの更新は、
諸事情、都合によりお休みとさせて頂きます。
大変申し訳ございません_____m(≧□≦)m
楽しみにして頂いた方々、また来週をお楽しみに!!
今後ともGOLDEN PARKをよろしくお願い致します。

GOLDEN PARK 事務局より

2007年06月18日

今週はお休みです・・・

今週のZAxBUのGOLDEN GUIDEBOOKの更新は、
諸事情、都合によりお休みとさせて頂きます。
大変申し訳ございません_____m(≧□≦)m
楽しみにして頂いた方々、また来週をお楽しみに!!
今後ともGOLDEN PARKをよろしくお願い致します。

GOLDEN PARK 事務局より

2007年06月11日

今週はお休みです・・・

今週のZAxBUのGOLDEN GUIDEBOOKの更新は、
諸事情、都合によりお休みとさせて頂きます。
大変申し訳ございません_____m(≧□≦)m
楽しみにして頂いた方々、また来週をお楽しみに!!
今後ともGOLDEN PARKをよろしくお願い致します。

GOLDEN PARK 事務局より

2007年06月04日

今週はお休みです・・・

今週のZAxBUのGOLDEN GUIDEBOOKの更新は、
諸事情、都合によりお休みとさせて頂きます。
大変申し訳ございません_____m(≧□≦)m
楽しみにして頂いた方々、また来週をお楽しみに!!
今後ともGOLDEN PARKをよろしくお願い致します。

GOLDEN PARK 事務局より

2007年05月28日

半蔵門

どうも、ZAxBUです。さてさて、GOLDEN GUIDE BOOKの月曜日です。

  東京の地名で「半蔵門」って所があります。
  これは江戸城の「半蔵門」の跡地から、その地名が付きました。
  その「半蔵門」の半蔵は「服部半蔵」に由来しているんです。
  江戸時代、江戸城の半蔵門から甲州に伸びる道が作られました。甲州街道ですね。
  甲州は徳川家の所轄地で、甲州街道は脱出経路になってたんですね。
  で、脱出の際に護衛をする服部半蔵率いる伊賀忍者衆が、半蔵門を詰所にしていたんです。
  ちなみに「服部半蔵」は忍者ではないんですよ。
  徳川家の旗本で、伊賀流忍者を率いてたんです。

 では、また来週。ニンニン。

2007年05月21日

帝銀事件

どうも。ZAxBUです。
月曜日です。
今週のGOLDEN GUIDE BOOKは、帝銀事件についてです。



 帝銀事件とは、1948年1月26日に東京都豊島区の帝国銀行(後の三井銀行、現在の三井住友銀行)椎名町支店で発生した強盗殺人事件。
 1948年1月26日、白衣に「防疫班」の腕章を着用した東京都衛生課員を名乗る男が「近くで赤痢が発生したので予防薬を飲んでもらう」と偽って行員16人に青酸化合物を飲ませて12人を殺害(4人生存も、うち1人は後に死亡)。
 現金18万円あまりを奪って逃走した。

 全員に飲ませることができるよう遅効性の薬品を使用したり、手本として自分が最初に飲んだり、「歯を痛めるため舌を出して飲む」よう伝えて確実に嚥下させたりと巧みな手口を用いたと伝えられている。

 当初は青酸化合物の扱いに熟知した旧陸軍細菌部隊関係者を中心に捜査されていたが、その年の8月21日にテンペラ画家の平沢貞通を北海道小樽市で逮捕した。
 生存者の証言では可能性が低く不審な点もあった。

 一説では、旧陸軍細菌部隊(731部隊)関係者の犯行という説もあり、終戦直後の部隊から細菌兵器やデータなどを入手した件の発覚を恐れたGHQの圧力があったと言われている。

 1955年5月7日に死刑が確定した。しかし、上記の点や証拠とされた平沢の自白も取り調べ時に拷問に近かった事や精神疾患によるものと言う疑いもあり、冤罪であるとして、その後何度も再審請求が出された。

 平沢は獄中で3度の自殺未遂を計った。
 世間の影響も大きく、松本清張などの支援者が釈放運動も行ったが、1987年に八王子医療刑務所で95歳で肺炎を患い病死。
 その後も養子と支援者が名誉回復の為の再審請求を続けている。

 歴代の法務大臣も冤罪の可能性が強いと感じ、新聞記者の前で一度に23人死刑執行を署名した田中伊三次さえも死刑執行を命じることができなかった。


 この当時は自白が証拠として適応された時代で、上にも書きましたが、殴る蹴るの暴行による自白を促してたみたいですねー。
どこからどう見ても冤罪です。
 迷宮入りになりそうな事件は、誰でも良いから犯人に仕立て上げ、自白させる。
 親方日の丸のやる事は、今も昔も変わりません。

では、また来週。

2007年05月14日

今週はお休みです・・・

今週のZAxBUのGOLDEN GUIDEBOOKの更新は、
諸事情、都合によりお休みとさせて頂きます。
大変申し訳ございません_____m(≧□≦)m
楽しみにして頂いた方々、また来週をお楽しみに!!
今後ともGOLDEN PARKをよろしくお願い致します。

GOLDEN PARK 事務局より

2007年05月07日

生涯、探索し続けた漢 vol.3

どうもー、ZABUです。
今回は白瀬南極探検隊の最後です。一気に書き上げるぞっと。


 明治45年(1912)1月16日午後10時、白瀬率いる日本南極探検隊は吹きすさぶ暴風雨の中、南極大陸に上陸した。
 装備は服装ひとつをとっても、シャツ2枚にズボン下を着て、毛皮の防寒服だけだった。
 白瀬ほか4名の突進隊は2つの犬ぞりに別れ、往復16日間、500キロを超える南極探検を行った。
 犬ぞり同士がはぐれ、死の危機を迎えながらの決死行だった。
 最終到達点は南緯80度5分、極点まであと一千キロ余りだった。


 晩年の白瀬は不遇だった。
 帰国時こそ熱狂的な歓迎を受けたものの、やがて世間は忘れていった。
 探検の借金を個人で抱えた白瀬は、自宅や軍服を売り払い、南極探検のフィルムを手に全国を講演し借金を返済していった。
 南極海の荒海よりも、陸に上がってからのほうが辛かった」。
 しかし白瀬は借金を返しながら、なお極地探検の嘆願書を政府に出し続けた。
 借金を返済し終えたとき、白瀬は74歳。
 もう十年早く返済していれば、もう一度、極点に向かっただろう。
そして、戦後まもない昭和21年、白瀬は間借り先の魚屋の二階で人知れず息を引き取った。
 85歳だった。



  この白瀬って人がいなかったら、上村直己や、南極物語のタロとジロはいなかったはず。
 白瀬探検隊が使った、復元された船を映像で観たのですが、とても30名近い人が乗りきる大きさではありませんでしたよ。
 いやー、すごいですね。

では、また来週。



2007年04月30日

Funkyだぜ。

どうも、ZAxBUです。
入稿落としそうになりました。ってか、落としてますか?

よしっ。まだ大丈夫。

いつも資料提供してくれてる方の連絡がつかないので、今回は違う話で。すみません。



 リズムにノってるミュージシャンやダンサー、はたまた、カッコ良い相手に向けて、Funky(ファンキー)って言葉使いますよね。

 Jazzの街、ニューオーリンズでは違うんです。

 朝起きて、家族と一緒に食事をして、仕事に出掛ける。
 仕事が終わって、夜に帰宅し、家族と一緒に夕食を取る。
 家族と向き合って話しをする。

 社会人として仕事をして、家族を愛し、大事にする。
 こう言った人に向けて「あいつはFunkyだぜ」と言うんです。

 あなたは出来てますか?
 自分に手一杯で出来てない人多くないですか?
 浮気してたりしませんか?


 俺の周りはFunkyな人が多いです。
 自分の家族だけじゃなく、メンバーの家族、友人の家族までも大切に想ってくれてる。

 Funkyな人は演奏する音楽までFunkyです。



では、また来週。

2007年04月23日

生涯、探索し続けた漢 vol.2

どうも、ZAxBUです。一週間って早いですね。
では、前回に引き続き「白瀬探検隊」のお話です。


 1910年に渡航費用を帝国議会に建議し、衆議院は満場一致で可決するも、白瀬は省庁をたらい回しにされたあげく、費用は一切出ずに終わる。

 しかし、後援会会長に大隈重信を立て、新聞社等を巻き込んで、渡航費用を寄付で集め、国民に義援金を募った。

 この集まった費用で白瀬は船を買う。

 千島探検の時に使った、わずか200tの木造近海漁船で、それに中古の蒸気機関を取り付け「開南丸」と命名した。

 隊員は陸員9名、船員18名の計27名で、国民の公募により集められ、その時の条件が「身長157cm以上、25歳以上、40歳未満、独身、梅干しの種を噛み砕ける者」とした。

 白瀬以外は全員素人。それに極地輸送用の犬29頭を載せ、いよいよ出発する。

 「ただの鮭取り漁船で南極までたどり着けるはずがない」と、メディアに叩かれながらも。

〈来週に続く〉

2007年04月16日

生涯、探索し続けた漢 vol.1

世界には名だたる探検家、冒険家がいる。
今から百数十年前に自分を貫いた漢がいた。
彼は歴史的にあまり有名ではない気がする。
もしかしたら目標に到達出来なかった為かもしれない。
今回は、彼が「かの地」に馳せた想いをガイドさせてもらいたい。



 時は西暦1861年、秋田県に生まれた彼の名前は白瀬 のぶ。
 幼少の頃に白瀬は、寺小屋の先生から聞いた極地探検の話に感化され、北極探検の夢を抱く。
 その時聞いた5箇条、酒、煙草、茶、湯を飲まない、火に当たらない、と言うのを生涯貫いたらしい。
 1879年(明治12年)に僧侶になる為(実家が寺)に上京するが、2ヶ月後、陸軍学校に入校。
 1881年に卒業後、伍長として仙台に赴任する。
 1893年には予備役となり、千島探検隊に加入する。
 同年に占守島に到着する(1896まで滞在する)。
 この時、千島探検隊は凄惨を極める。別の島で越冬した10人は全員、死亡・行方不明。
 占守島に留まった白瀬、他5名も3人が死亡と言うものだった。
 その後、日露戦争で遼東半島へ派遣などされる。

 1909年、いよいよ白瀬が、よし、北極へ行くぞ!と決断した時ニュースが入った。
 アメリカの探検家、ピアリーが北極点を踏破。
 白瀬は意気消沈した。幼少の頃からの夢。絶望。
 しかし、白瀬は諦めない。「北極が駄目なら南極へ」。
 目標を南極点到達へ転換する。
 その時またもや、悪いニュースが。
 イギリスの探検家、シャクルトンが南緯88度23分に到達。
 白瀬は焦った。
 イギリス政府は、探検家のスコットが来年、南極探検に挑むと発表。
 白瀬は競争する事を決意する。
 白瀬、すでに48歳の時であった。

〈来週へ続く〉

2007年04月09日

Lady's & Gentleman!

はい、始まりました!!

ROCK BAND「FULL MONTY」のメンバーによるブログ、

「GOLDEN PARK」!!

月曜日は私、Trumpetを担当しているZAxBUの「GOLDEN GUIDEBOOK」をお送りします!

FULL MONTYを知ってる人も知らない人も毎週読んでね。



 便秘でお困りの方が居られると思います。
 そういった症状の方にこんなのは如何がでしょう?
 便が出にくい時には「おん くろだ なん うん じゃく」を繰り返し唱えなさいと、幼少の頃に親から教えてもらいました。

 さて、以前から僕は「神様」に興味があります。
神様といっても様々で、特に、数年前からハワイの神様「Tiki(ティキ)」が好きで、それの木彫りを収集しています。
 顔がグロテスクでまるで宇宙人、、、宇宙からの来訪者なんではないかと。
 文字という文明を持たなかった古代ハワイの原住民(ポリネシア人)は未知との遭遇を「Tiki」という形で残したのではないか?と。
 ちなみに、ハワイを発見したジェームス・クック(探検家)は原住民に「神様が来たー!」と熱烈に歓待された後、「やっぱり神様じゃない」と殺されてしまったそうな。
 その他、インド(ヒンドゥー教)の神様等も神秘的でカッコ良いです。
 しかし、一番神秘的な神様がいる国は日本(仏教にはヒンドゥー教の神様がいるけど)!!
 日本には800万の神様がいるらしいです。
 毎年10月(神無月)には800万の神様が出雲大社に集まり、一年の事を話合うらしい。
 出雲大社に800万、、、ちょっと狭いね。
 さて、その数々の神様のプロフィールを読んでいると中に「ん?」と思うものがあった。
 烏芻沙摩明王(うすさまみょうおう):サンスクリット語でウッチュシマ・ヴァジュラパーラ。
 ウッチュシマは不浄潔、焼き尽くし浄化するという意味。
 元々は火の神様で、今では浄化とかけてお産や便所の神様としてある、と書いてあった。
 真言は「Om krodhano hum jahasvaha」、「krodhano=くろだの」は怒れる者という意味で、烏芻沙摩明王を呼び出す時に使う、、、
 って、あれ?「Om krodhano hum jahasvaha」って、子供の頃に聞いた「おん くろだ なん うん じゃく」ではないか?
 そっか、あれって便所の神様を呼び出す呪文だったのねー。
 どうぞ、便秘にお困りの方は、烏芻沙摩明王に力をお借りしてみて下さい。

 いやー、神様といっても様々ですね。
 土地、風土、文化の違いで神様も違う、、、しかし、根本は生活の中の全てに感謝し、敬う気持ちから来ているのではないかと思うのです。
 物を乱雑に扱ったりする人には罰が当たりますよ。
 ツアー中にラバーソールが無くなるのも因果応報なのか、、、はぁ。

 おっと!長くなってきたのでこの辺で。
 では、また来週。


「おん くろだ なん うん じゃく」